鬼と言われていた

私の母としての習い事サポートの仕方

努力が大事! 結果が大事!

 

楽しいだけでいいわけないでしょ。

 

私がどうにかしなきゃ!

私がどうにかしなければ!

私が母になり

子供達は習い事を始めました。

 

通い始めて2年くらいは週1回の稽古にも

行ったり行かなかったりでしたが

 

尊敬する先輩を追いかけて

自宅でも練習をするようになった息子を見て

私もテコンドーに興味を持つようになりました。

 

 

「自分も学んでサポートしたい!」

「一緒に黒帯を目指したい!」

と道場に通うようになりました。

 

 

 

一緒に稽古を受けて

一緒に審査を受けて

一緒に試合に出場して

とても楽しく充実していました。

 

 

稽古の楽しさも難しさも

審査のドキドキもワクワクも

試合の怖さも悔しさも嬉しさも

共有しあえる時間は

なんともいえなく幸せな気分にしてくれました。

 

 

 

「一緒に合格しようね!」

「一緒に優勝しようね!」

 

私から子供2人に

こんな提案をする事が

多くなっている事に気が付いたのは

テコンドーを始めて8ヵ月が過ぎたあたりでした。

 

 

 

地方の大会

試合での出来事でした。

 

 

「なにやってんだよ。」「そうじゃないだろ!」

「もう知らない、置いて帰る!」

応援席からコートに投げ入れられた応援の声でした。

 

 

 

その日は子供達のみ参加の試合で

私自身は保護者として応援席にいましたが

その投げ入れられた

応援としてのメッセージを

私は

選手として、コートに立つ者として、聞きました。

 

 

 

あなたならできるの?やってみなよ。

 

やりたいけど

わかってるけど、出来ないんだよ!

 

 

このような思いと同時に、ハッとしました。

 

私も同じことを子供達にしているかもしれない。

 

乱暴な言葉を使っていないだけで

応援のつもりだと思って

 

こちらの

私の期待を押し付けているかもしれない。

 

 

 

 

子育てをしていく際に

私の中に常にこんな思いがありました。

 

成功体験を積みあげていけるように。」

「たくさんの成功体験を味わってほしい。」

 

「そのためには成績は良いもの

(メダル獲得)でなければならない。」

 

 

 

私自身の過去を簡単に辿った時に

「過去の

スポーツでの成績が今の自分を作っている」

と思い込んでいたので

子供達にも同じようにと考えていたのです。

 

 

 

大変でした。

大切な子供の事だからこそ

思いも強く

気持ちも入ってしまう

 

 

子供達が望んでもいないのに

子供達が手を抜かぬように

練習で勝てるように試合に勝てるように、と。

 

勝手にお尻を叩いて

練習や試合の報告を聞くたびに一喜一憂

疲弊していました。

 

 

試合の翌日も、お出かけした後も

子供達が疲れているのも受け入れず

道場に車を走らせていました。

 

 

「今日はどんな練習をしたの?」

「組手誰とやったの?どうだった?」

 

 

 

想像つきますか?

 

 

誰が

誰のために何のために

習い事をしているのかわからないですよね?

 

 

大会で聞いた

応援メッセージをきっかけに

 

 

子供は子供

私は私

共に稽古に励む仲間

 

と思えるようになり

ただただ見守る

というスタンスをとるようになりました。

 

 

頑張らなきゃいけない!

強くならなきゃいけない!

出来るようにならなきゃいけない!

 

 

私自身の決まりを

子供達に押し付けて

私も子供達も苦しかった

 

 

楽しい!が 楽しくない

面白い!が 面白くない

やりたい!が やらされている

に変わっていくのは

親としての私の関わりすぎ

関係してしまうような気がしました。

 

 

何から何まで知らなくていい

どうにかしようと思わなくていい

 

 

手伝ってください

応援してください

背中を押してください

子供達からそんな言葉や行動が出た時にのみ

 

神社で買った

お守りのように寄り添えるサポートをしたい

 

今はそう思い見守るようになりました。

 

  

 

子供の成長や熱中と共に

親である私の期待が高まり

「もっとやれる」「もっとできるはず」

「みんなが出来てるんだから出来るでしょ!」

と私の心の中で押し付ける言葉が増える度に

 

子供達は

苦しい 窮屈

だと感じる時間になっていたように思います。

 

 

 

子育てに正解がないように

習い事のサポートにも正解はありません

  

 

子供達の観ている世界はまだ広くはなく

親や先生を軸に生活をしています

 

 

 

親や先生に認められたい

観てほしい

褒めてもらいたい

と言う感情を抱くようになったら

 

目標はそこに切り替わり

無限に広がれる可能性は

広がれなくなってしまうかもしれない

 

 

私の過度なサポートや関わりが

子供達へは

無言のプレッシャーに

なってしまっていたかもしれない

と思うようになりました。

 

 

 

散々お尻を叩いてきましたが

お尻を叩いたからこそ

審査や試合の後の

笑顔に繋がっているのかもしれません。

ですが、そこもわかりません。

 

 

正解がない子育てやサポートで

お互いの可能性が広がるように

と考え始めて

私は今このような選択をしています。

 

 

 

お子様の習い事のサポートで

迷いが出てきた時に

無数にある選択肢の1つになればいいな

と、思い書いてみました。

 

 

ご覧いただきありがとうございます。